白米にエゴマとゆかり、切り干し高野豆腐煮、ぬか漬け和え、蕪のスープ |
豚肉入り根菜カレー、みそ汁、ジャガイモサラダ、切り干し煮 |
↑ある日の昼ご飯2種
昨日は都心まで出かけたら、ハロウィンオレンジはすっかり無くなって
もうクリスマスムードがじわりじわり来てました。
なんだか暑かったり、寒かったりで、季節感を感じないこのごろ。
今日は最近あった出来事を一つ。
その日の朝食は、
焼いておいたパウンドケーキ2切れ、煮たりんご、紅茶
というメニューだったと思う。
パウンドケーキは冷凍しておいたものを冷蔵において解凍。
ガスのグリルで温めて、ココナッツオイルを付けて食べた。
ごくごく、普通の朝食。自分の食べ慣れた味でもある。
日課の体操を終えて、朝読書を終えた後の朝食。
なのだけど、
食べ終わった時、
「あ〜美味しかった」と思ったのです。
と同時に、
身体への入り方がすごくスムーズというか、
ふわっと、軽やかなエネルギーに変わったのを感じました。
(あっ、別にワタクシそのテのスピリチュアルなオーラが見えるとか、エネルギーが分かるとか、前世見えるとか、そういう能力はありません。その道の人に言わせると、「オーラ見えるのも、エネルギー感じるのもあたりまえ!」誰でも本来は出来るもの!といいますが。)
そう、どなたでも、
食べ物を食べて「あ〜美味しかった」と
実感して食べているときがあるはずです。
そういうときは、食べることに集中していて
まわりの出来事やモノに気が取られていず、
食べることに、心から満足して食べているものです。
集中しているけど、リラックスしているので、
身体への食べ物のエネルギーもいい形で変化しやすいです。
その反対に、
食べながら、時間が絶えず気になったり、
まわりの出来事が気になったりしていると、
食べたものも何食べたんだか忘れたり、
なんだか食べた気がしなかったり、
食べても食べても満足せずに食べ過ぎてしまったり、
ということがあります。
食べることに意識が向いていない状態。
絶えず緊張した状態で食べているのです。
だから、食べ終わった後も、
「食べ過ぎちゃって・・・・」
「太ったらどうしよう・・・・」
「動物性のもの食べちゃった・・・・」
といった、思考優位に考えてしまうので、
食べ物のエネルギーがす〜っと入っていかない。
不完全燃焼のような状態になる。
このことがあってから、食べ終わってから、
「今食べた○○、○○はワタシの身体を元気にしてくれました。
ごちそうさまでした」を唱えるようになりました。
そうすると食べ物は、
身体にいいエネルギーになって働きかけてくれる気がします。
お肉でも、お魚でもなんでも!。
これは、身体の働きとか、カロリー代謝とは別の話。
このことは禅寺の食事法に似たものだと思います。
禅寺の食事って、厳しい作法があって最後は器をキレイにぬぐって
「ごちそうさま」で終りますよね。
禅寺では朝の食事に唱える偈文(げもん)がありその一つ、
「粥有十利(しゅうゆうじょり) 饒益行人(にょいあんじん) 果報無辺(ごほうぶへん) 究竟常楽(きゅうきんじょうら)」は
「お粥には十の良い点があり、それが食する人に利益(りやく)をもたらす。その無辺の果報によって、常に安楽となる」という意味で、
おかゆの十の良い点、
1.肌の色つやが良くなる。2.気力、体力が増進する。3.寿命に良い。4.身心が楽になる。5.言葉が清く爽やかになる。6.消化が良い。7.風邪を防ぎ病に良い。8.飢えをいやす。9.喉(のど)の渇きをいやす。10.便通に良い。
を唱えながら食べているということになるそうです。
食べるときの人の意識が、
食べ物そのもの栄養成分やカロリーやエネルギー以前に、
身体にもものすご〜く影響してる。ということ。
禅寺の経文を覚えて日々となえるのは難しくても、
ただ、「あ〜美味しかった」と思って食べる。
それは、偈文と同じくらいに
私たちの身体を癒したり、元気にしたり、
活力をよみがえらせてくれるはずです。
ダイエット中の方や健康を意識している方にも、
普段食べている食事がよりいいエネルギーとなって
身体に働きかけてくれるでしょう。
ホントは、実感したことをさらり〜と書こうと思っていたのですが、
禅寺の教えにまで行き着いてしまいました。
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